No.62 やっぱりDCF法はアートな世界



 私も久しぶりに投稿させていただいたEvaluation No.29(プログレス / 2008年5月15日発行)に、 「DCF法はアートな世界?」と題する文章が掲載されている。

 書き手は、不動産鑑定士の堀川裕巳氏で、その内容は、次のようなものである。


(1)バブル崩壊後、日本の不動産市場でDCF評価によって不動産を買い叩いたのはアメリカ資本だが、 その本家でサブプライムローンの破綻問題が起こった。DCF評価も怪しいようである。

(2)そもそもDCFは、保有期間(分析期間)が短ければ、求められる価格の7、8割は復帰価格であり、 純粋にキャッシュフローで説明できるのは、たかが2、3割に過ぎない。長い期間を想定すればその点は改善されるが、 そもそも将来10年などの予測ができるものだろうか。予測はタラレバの世界であって、 それ如何によって、答えはどうにでもなる。DCFとはそういった危ういものであるのに、 一般には信頼性が高いと思われていて、DCFを使わない鑑定評価は胡散臭いと思われるのには辟易する。

(3)DCFを使えば、現状赤字の不動産でも、いとも簡単に黒字にしてしまえる。 これはDCFマジックだ。

(4)不動産鑑定は依頼者からお金をもらう仕事であるから、依頼者の意向に沿った評価をしておけば、 基本的に文句を言われない。そもそも鑑定において価格の明確なストライクゾーンを示すことは困難であり、 そこに鑑定士がつけ込まれるスキがある。

(5)あるファンドからの仕事で、鑑定業者3社に同時に依頼があり、 その中で最も高い評価額を提示したところに正式な鑑定を発注するという方式がとられていた。 まったく馬鹿げた発注方法だが、このような時には、DCFは極めて使い勝手がいいと思われる。 赤字不動産でも容易に黒字化できるからだ。

(6)DCFではキャッシュフローだけでなく、利回りをいじれば、いとも簡単に高額評価ができる。 利回りの正当性は実証できないし、誰にも反論ができないからである。

(7)利回りなどは、鑑定士自身で実証しようとするのではなく、外部の研究機関などの力を借りるべきではないか。

(8)現状では、規模の小さな個人事務所は実証できるデータを持てないので、 アートな評価に流れてしまいがちである。今後もこの状況は暫く続くものと考えざるを得ない。


 堀川氏は控えめな方であるから、遠慮がちにタイトルに「アートな世界?」と、はてなマークを お付けになっているが、私が代わりに、はてなマークを取って差し上げたいと思う。 上記論旨に、私は全面的に賛同する。

 詳細な将来予測が出来るからDCFは精度が高いなどと、未だに信じている人が世間にはいるようであるが、 キャッシュフローについて、一見きめ細かそうな将来予測をしているとすれば、 それは単なる「数字遊び」に過ぎない。もちろん、テナントの契約更新や将来の大規模修繕など、 時期のある程度決まっていることについては、それに合わせた算定をすべきなのは当然であるが、 将来における賃料水準等、未知のことについて、あたかも分かっているかのようにシナリオを書いているとしたら、 それは鑑定士ではなく、占い師、あるいは作家の仕事であろう。

 将来のトレンド予測をするとしても、現状維持を前提とするか、せいぜい平均数%の下降、あるいは上昇といった、 ラフな傾向で表現するのが精一杯のはずであり、それが誠実な評価というものである。だから、 大抵の評価は、直接還元法で代替できてしまうはずだ(あるいはインウッド的に、特定の出費の現在価値を別枠で考慮する等)。

 *無論、どんな場合もDCFなどしなくて良いと言っているのではない。 ルール上DCFが必須とされている評価では当然やらなければいけないわけだが、 その危険性を十分に認知した上で行うべきなのである。

 このようなことは、当サイトにおいてこれまでにも繰り返し述べてきているばかりか、 収益還元について人様の前でお話しさせていただく機会には、私はいつも次のように申し上げている。

 「DCFほど、いい加減は手法はありません」「そもそも収益還元法が最も正しい評価手法だなどと言う人は、 評価というものをまったく分かっていない人なのです」と。

 すると、「あなたは収益還元の推進者ではなかったのか」などと言われることもあるのだが、 私がなぜ当サイトその他においてダイナミックDCFとか、金融工学を取り入れた収益評価とか言っているかといえば、 そもそも収益還元法がとても危うい手法だと思っているから、少しでも実証的な方法を模索したいと 考えているからなのである。

 問題はもちろん、キャッシュフロー予測だけではない。利回りについても、市場における収益物件の取引利回りをデータベース化して、 それを使えばいいと思っている人が少なくないが、市場が過熱してくれば、 取引利回りは当然に低下してくる。ここ数年で、それをイヤと言うほど経験しているはずだ。 つまり、取引利回りを唯一の拠り所として、収益評価における利回り設定をするならば、 それはバブル現象も無批判的に肯定することに他ならないのだ。

 これを言うと、「じゃあどうやって利回りを出せというのか」 と逆ギレされることもあったりして、閉口するわけだが、 そのために不動産のリスク分析技術を高める必要があるのだ。

 データベースの構築は、集めたものを「生データだから」「これが市場実態だから」と、 ありがたがって流用するために行うのではなく、主に不動産ごとの、そして、不動産と他の資産との間の リスク構造の違いを把握するための材料として、不可欠だから行うべきなのである。

 DCF法自体は、色々なところで数字をいじることができるという意味において、 「アートな世界」である。だからこそ、そこに投入する数値を、少しでも科学的な方法で決定するように、 努力しなければならない。

 もちろん、数的な処理能力さえあれば評価が出来るなどというものではない。 ヘドニック分析などでもそうだが、不動産の価格形成要因についての正しい知識と経験がなければ、 データ分析した結果の解釈や、的確な数値選択はできない。

 評価手法というものは、ありがたがるものでも、それを使うことによって信頼性が増す といったものでもない。「手法」は、単なる「手法」に過ぎない。

 DCFを、依頼者の意向に沿う評価額を捻出するための道具におとしめるのか、 鑑定を少しでも科学に近づける足がかりとするのか。 それは、我々の良心にかかっているような気がする。


2008年5月29日