No.60 ここにも居た収益還元教の信者
〜週刊エコノミスト2007年2月20日号記事への反論〜
近年大都市部で起こっている地価高騰に関して、 最近様々な経済雑誌等で特集が組まれている。その中には、市場の過熱ぶりを煽るばかりで、 論理的な検証が不十分な記事も見受けられる。当コーナーのコラムNo.59では、週刊ダイヤモンド の記事についてその問題点を指摘した。
当該記事に限らず、昨今の地価高騰を容認するメカニズムとして、 収益還元法を手放しで礼賛する声が多く、 一般読者に大きな誤解を与えかねないものが実に多い。
当コラムでは、先ごろ「週刊エコノミスト」誌に掲載されたアナリスト氏の主張のおかしさについて指摘したい。 外資系証券会社シニアアナリスト増田悦佐氏による「証券化と収益還元法が支える活況」と題する寄稿が、 それである。
「証券化と収益還元法が支える活況」記事概要
昨今の不動産業界の好調要因をワンフレーズで言えば、「都心回帰による活性化」である。
その背景には、規制緩和の進展や証券化市場の整備等がある。
価格メカニズムが正常に機能し始め、都市部の地価がお買い得レベルに下がってきたことや、
首都圏等において工業等制限法が撤廃されたことが具体的要因として指摘できる。 また、不動産の現物市場に対するREIT市場の役割も大きい。 REITが生んだ3つの変化として、 (1)最後の買い手としてのREITの存在が、不動産の塩漬けリスクを軽減した。 (2)REITの存在が、私募ファンド市場の拡大にも寄与している。 (3)不動産評価手法として収益還元法が定着した。 という各点がある。 ノンリコースローンが拡大し、担保価値査定の厳格化の要請から、 市場での実勢価格は収益還元法評価に一本化しつつある。 このような制度変革に支えられた現在の活況ぶりは、 例えば投資利回りが10年物国債の金利を下回る水準まで低下するような異常事態が起こらない限り、 安泰であろう。 |
上記記事内容に対する私の見解
バブル崩壊とともに地価が大きく下落したところへ、近年の景気回復に伴って値頃感が出てきたことや、 工場等立地制限の撤廃により、都心回帰が加速された点などは、その通りである。 また、REITや私募ファンドが拡大し、優良物件の流動化が加速されたことも事実である。 その背景には、例えば老朽化したビルを再生させるリノベーションの進展や、 プロパティマネジメントの重要性の再認識などもある。
REITや私募ファンドは、組み入れた不動産から得られる収益を原資として 投資家に配当を行うしくみであるから、 そこでの物件価値査定は、当然、不動産収益に着目した収益還元法が主体となる。 これは、不動産鑑定士が実務上の指針として用いている「不動産鑑定評価基準」にも、 その通り規定されているものである(※注1)。
記事の中で私が特に問題としたいのは、不動産鑑定士の評価に関する次のくだりである。
日本の不動産鑑定士の実務指針には、今でも「収益還元法と比較事例法と再取得原価法の3つを 総合的に判断して鑑定価格を算出するように」と書かれてある。
(中略)どちらも「適正収益をあげられない物件は購入すべきではない」という歯止めのかからない評価法だ。 このため、市場の実態は明らかに収益還元法による評価に一本化しつつある。
(同誌23ページ)
また、近年発展したノンリコースローンについて、
貸し手である銀行にとっても、回収した物件が融資中の金利以上の利回りで賃貸収益を上げ続けることが 必要不可欠の自衛策であり、物件価値の査定は収益還元法による以外にない。(同誌同ページ)
とまで言い切った上で、伝統的なコーポレートローンは借り手企業全体に返済請求権が遡及するから、 担保価値査定は甘くなると言い、
理論的に問題点の多い比較事例法や再取得原価法の物件評価を許していたとも考えられる。(同誌同ページ)
と結論づけている。
原価法と取引事例比較法と収益還元法の3手法を併用するのが、 不動産鑑定評価基準における正常価格算定の基本であるというのは、 事実である。しかし、どの価格を重視すべきかは物件の特性に応じて個別に判断すべきことである( 前述のように証券化等における評価では、収益価格を標準として価格決定することが、ルールづけられている)。 (※注2)
金融機関の融資に際しても、もちろん収益還元法が用いられてはいるが、 他の手法を否定して「収益還元法による以外にない」などという実態にはなっていない。 なぜなら、収益還元法はそんなにあてになる手法ではないからである。 収益還元法だけで鑑定評価して融資実行していたとしたら、金融庁が許すはずはないと思われる。
ノンリコースローンで返済余力を見るために、 DSCR(借入金返済余裕率)をチェックするのは、金融機関側の見方であるものの、 評価理論上も初歩の話である。しかしながら、収益還元法だけで価格決定せよなどというのは、 あまりにも程度の低い暴論である。
このアナリストのように、収益還元法を絶対視する論者は、 収益還元法こそもっとも正しい評価手法であるなどと強弁する。 実に、収益還元法自体の持つ脆弱性をご存じない御仁なればこそ の発言であると言わざるを得ない。現在の賃料水準の妥当性の判断、 将来の賃料予測、空室率予測、経費の予測、修繕計画、割引率の設定、転売価格の予想等、 不確実なパラメータがたくさんあるのが、収益還元法なのである。実際に評価をしたことのない人ほど、 それらの数値が客観的にパッと決まるとお思いのようである。
当サイトで私が繰り返し主張してきているように、 買い手が主導権を持つ市場においては、買い手側の論理である収益還元法が幅をきかせるものである。 一方、過去のバブル期のように、売り手が主導権を持つ市場においては、収益価格で購入することはできない。 それではなぜ、昨今の地価高騰下において収益還元法が重宝されているかと言えば、 過去のバブルで取引事例比較法が「悪者」になってしまったために、 賃料や稼働率の楽観的数値設定や、利回りの操作、あるいは低金利をいいことに不動産利回りも低くて良いのだという へりくつを並べた低利回りの容認によって、より巧妙なごまかしに基づく収益還元法が横行しているからである。 もちろん、もし不動産鑑定士がそんな程度の収益還元法に荷担しているとしたら、そんな鑑定士は専門家を名乗る資格はない。
取引事例比較法(記事では「比較事例法」と書かれている)や原価法(記事では「再取得原価法」と書かれている) が「理論的に問題が多い」などというのは、評価理論も、不動産実務も、両方ご存じない方の戯言に過ぎない。
どうやら増田氏は、不動産鑑定士が時代遅れで、 使えない価格を出しているとでも言いたいようである。それならもう少し鑑定理論と、 ファイナンス理論を勉強していただきたいものである。収益還元法がいかに不当な高値を正当化する 道具に使われているかを見れば、手放しで礼賛などできないはずである。
記事の最後では、現在のこのような不動産市場の活況に対して、 次のような文章で結ばれている。
こうした環境は、不動産開発における投資利回りが、10年物国債の金利を下回る水準まで低下するというような 異常事態でも勃発しない限り、当分安泰であろう。(同誌同ページ)
国債利回りを下回らなければ大丈夫とでもおっしゃりたいのだろうか。 もしそうだとすると、「リスク」に関する理論をまるでご存じないと言わざるを得ない。
たぶん、私のような不動産鑑定士に対しては、 「これだから鑑定士は市場実態を知らない」とおっしゃるに違いない。 「欧米の実態に比べれば、日本のイールドスプレッドは依然として大きい。 だから日本はまだ買いだというのが、世界の常識なのだから」とも付け加えるに違いない。
だから、もう少し丁寧に説明しておこう。
リスクとは、収益の不確実性のことであり、言い換えれば予測できない収益のぶれのことである。 ファイナンス理論ではボラティリティといって、収益率の標準偏差によって計る。
賃料水準自体が時として変動するばかりか、 常に空室リスクや災害リスクにさらされている不動産収益と、 国債の配当や償還のボラティリティが同じであるはずがない。
不動産のキャップレートが異常に低下するのは、 市場でキャピタルゲイン期待が高まることがその主要因である。そのような時期には、 他者よりも更に楽観的な将来予測をできる人だけが、より高い値段で買うことができる。 そんな「イケイケ」の状況が続くことによって、不動産価格は高騰し、ついにはバブルとなる。
「市場の実勢」という言葉を錦の御旗として掲げる人は、おおにしてその実態を批判的に見る目を 持てていない。しかも、ファイナンス理論などの基本を知らないのか、 知っていても都合の良いように曲解さえしている。
私は不動産鑑定士として、今回のような薄っぺらい侮蔑に対しては、 今後もしっかりした理論武装で臨んでゆく所存である。また、いつでも論戦に応ずる準備があるので、 異論のある方は実名で名乗り出ていただきたい。
※注1:「(前略)不動産の証券化に係る鑑定評価等で毎期の純収益の見通し等について詳細な説明が求められる 場合には、DCF法の適用を原則とするものとし、 あわせて直接還元法を適用することにより検証を行うことが適切である。特に、資産の流動化に関する法律又は 投資信託及び投資法人に関する法律に基づく評価目的の下で、投資家に示すための投資採算価値を表す価格を 求める場合には、DCF法を適用しなければならない。」(不動産鑑定評価基準総論第7章、第1節、W、3、(3))
※注2:「標準として決定する」とは、収益還元法だけで決定するということではなく、 必ず他の検証手段も併用することが必要である。1手法だけでは、収集できる資料の信頼性や、 判断の妥当性に疑問が残るからである。
2007年3月5日