No.41 隣の芝生が青く見える人々



 新聞の読者投稿欄に、次のような投書があった。

 投稿者は公立中学校教諭を夫に持つ女性。内容は、よく世間では学校の先生は休みが多くて、 仕事が楽そうで、うらやましいとの声があるが、教師の現実を知ってほしいという。 日々遅くまで仕事がある。毎日仕事を持ち帰っては、自宅でパソコンに向かっている。休日出勤はあたりまえ。 夏休み期間などもほとんど休暇は取れない。などなど。

 私は、この投書を読んで、学校の先生がいつもだいたいこんな様子で、 非常に激務であるという事実を、知らない人が多いということにむしろ驚いた。

 皆大人になると、自分が学生だった頃の光景を忘れてしまうようだ。 職員室では、放課後遅くまで、かなりの先生方が机に向かって仕事をしていたこと。 夏休みにプールなどで学校に行っても、必ず複数の先生が出勤していたこと。

 普段の平日も、毎日授業をするためには、先生だって授業が終わった後に当然勉強をしなくてはならないだろう。 授業で話す内容が、常にすべて頭の中に正確にインプットされているわけはないからだ。何より人間を相手にする職業であるから、 思い通りにならないことが多いであろうし、精神的にタフでなくてはならない。 その程度のことは、少し想像すればわかるだろう。

 他人の職業のことをよく知らないのに、やたらと羨む人が多い。それが高じると、あんなに給料をもらってけしからん、 という妬みになる。

 近年、不景気の影響で、民間企業では人員削減の結果、残業時間が延び、それでいて残業代はカット。 そんな激務の中で、皆自分自身もいつ首切りにあうか怯えている。それに引きかえ公務員は仕事が楽で、安定していてうらやましい。 そんな人たちには、普通のサラリーマンの苦しみはわからないだろう。そういう論調が多い。 よく引き合いに出される銀行マンに対する風当たりの強さも、同じような視点に立っていると思われる。

 私の知人にも、大手銀行、証券会社、総合商社など、世間では給与が高いとされている会社に勤めている人たちがいる。 確かに収入は多いかもしれないが、彼らの働きぶりを見聞きするたび、多くて当たり前だと私は思う。

 世の中に、楽して儲かる商売などない。特別な能力を持っているか、人より長い時間働くか、人のいやがることをやるか。 高収入には必ず相応の理由がある。

 国会議員は楽で高収入でよいと思うのならば、今から選挙活動をやって議員を目指してみればいい。 自分がなってみて、働きの割に収入が多すぎると思うのならば、国会の場でそれを議論し、法律改正に尽力すればよい。

 医者は高収入でうらやましいと思うのならば、今から受験勉強をし、医学部に入って6年勉強し、医師国家試験を受け、 研修医時代を過ごし・・・。とやってみればよい。

 実際にそうせずとも、想像してさえみれば、それらの職業に就くために、いかに多くの時間、費用、能力、そして努力が必要なのか、 わかるはずである(※注1)。

 同じ努力をしなかったのに、他人の現在の状況だけをみて羨むのは、子供のようなものである。 もちろん、同じ努力を実際にするということが大事なのではなくて、最も大切なのは、自分が体験していないことに対する 想像力である(※注2)。

 最近、想像力に欠ける独善的な視座からものを言う論調が多いように思う(※注3)。 世の中に閉塞感が漂っているから皆の心に余裕がないのだ、という見方もあろう。しかし、 それは逆であると私は思う。

 物事を大局的に見ること。自分を外から見ること。それぞれの立場を冷静に客観的に捉えること。 そういうことができれば、他人を羨んだり、妬んだりする気持ちは湧かないだろう。 そうすれば、世の中はもっと穏やかになると思う(※注4)。

 隣の芝生が青く見えるのならば、きっと貴方の庭の芝生も、隣の人からは青々と見えているはずなのだ。

 自分の選んだ道を卑下することは、自分自身を否定することである。もし選択が間違っていたと思うのならば、 今から別の道を歩めばいい。

 もう遅いとか、自分には能力がないとか、時間がないとか、環境が許さないとか、この国ではそれができないとか、 すべては言い訳に過ぎない。自分に言い訳をする暇があったら、一歩でも前に進んだ方がよいと思わないだろうか。

2003年6月25日


※注1:私は、自分が議員、医師、銀行マン、証券マン・・・等になることを想像すると、 とても勤まらないということがすぐわかる。だから、どんなに高い給与をくれるといっても、それらの職業には絶対に就きたくない。 したがって、彼らを羨ましいともまったく思わない。

※注2:私は、多くの人が国立のT大学やK大学の出身者をやたらと羨んだり、自分の学歴を卑下したりする気持ちがわからない。 そんなに羨むくらいなら、小中高時代に死にものぐるいで勉強して、それらの大学に入ればよかったではないか。 自分にはその能力はなかった、と言うかもしれないが、死にものぐるいでチャレンジしても達成できなかったならば、運命と思うしかないだろう。 また、青春時代には受験勉強よりももっと大切なことがあると考えて選んだ道ならば、それが最良であったに違いない。私はそう思う。

※注3:例えば、「他国が攻め込んできた時に、何もできないで指をくわえてみていろ、というのはおかしい」という"正論"を 振りかざす人々がいる。しかし、専守防衛というオブラートに包んだところで、戦闘を認める法律ができてしまえば、 拡大解釈が始まるのが、この国の常である。最初に針の穴を開けてしまったために、取り返しのつかない大きな流れに発展してしまうことが よくあるということに、なぜ多くの国民は気づかないのだろう。現内閣を支持している人は、自分が、あるいは子供や孫が銃を持たされる事態までを 想像できているのだろうか。こんな状況を放っておいてはいけないと思うのだが。

※注4:このようなことを言うと、現実を見ない理想主義とか、世間知らずとか、世間はそんなに単純ではない、甘くはないという声が降りかかってきそうである。 しかし、「世間はそんなに甘くない」という発言をする人々に絶対的に欠けているのは、その世間を自ら変えてゆこうという気概と努力である、 と私は断言する。「世間は甘くない」論者こそ、人生に対する態度が甘いのだ。最大限の努力を続けていれば、自分と他者を、本当に同列に 見ることができるはずだ。