No.32 構造改革と景気回復



 10月19日付日本経済新聞「大機小機」欄に、「政策のリアリティと大局観」という記事があった。 昨今の不良債権処理大合唱の風潮に一言物申す内容だが、共感できる部分がたくさんある。

 かなり多くの人があたり前のように唱えていることの中に、私が常日頃、おかしいと思っていることが二つある。 一つは、「価格破壊歓迎」あるいは「良いデフレ論」。もう一つは「構造改革なくして景気回復なし」である。

 当サイトでは、これまでマクロ経済に関してほとんど議論を展開してこなかった。その理由は、この分野に関して 意見を述べる人の中には、ほとんど経済理論を知らずに無責任なことを言う評論家が多く、そういうところに入っていきたくない ということと、そもそも私自身もしっかり論理展開ができるほど、マクロ経済学が得意でもないし、特段の興味があるわけでもない ということである。

 さて、上記記事には、次のような文章がある。

 「不振企業は退場と気軽に言うが、生身の人間がやっている以上、企業も必至だ。」

 「不振企業には業態転換を促し失業者には職業訓練と言うが、需要のないデフレ下では行き場もない。 また、良い銀行と悪い銀行とに分けて公的資金注入というが、国際決済銀行(BIS)基準を超えて良い悪いの基準はあるのか。」

 「政府系金融機関を民営化する一方で民間銀行の国有化を進めるというのはたちの悪い冗談だろう。」

 「現実の経済主体がどういう行動を取るかについてのリアリティと大局観を欠く政策は百害あって一利無しだ。」

 構造改革や不良債権処理に対して少しでも疑問を差し挟むような意見は、今の日本ではタブーのような雰囲気すらある。 その風潮が、私にはとても気持ち悪いし、気持ち悪いだけでなく、本当に皆、経済理論をわかって言っているのか、と問いたくなる。 そういうもやもやを抱えているところに、この記事はスカッとした。構造改革を無責任に主張する人は、自分は失業の心配がないか、 あるいは無邪気に"ない"と信じている人々である(※注1)。

 時を同じくして、もやもやを更に晴らしてくれる本をみつけた。『経済学を知らないエコノミストたち』(※注2)という本である。

 同書では、俗にエコノミストと呼ばれる人たちが、いかに経済理論を無視した議論を展開しているか、 現内閣が、いかにやるべきことをせぬまま空虚な構造改革論ばかり声高に主張しているかが理路整然と述べられている。

AD-AS & GDP-gap

 今推進されている構造改革とはサプライサイド政策であるから、そもそも需要が減退しているデフレ下でそれだけに邁進することは、 ますますデフレを深刻化させるだけである。これは、同書では左図のようなグラフで説明されているが、初歩的なマクロ経済学の AD−AS分析とデフレギャップの問題である。不動産鑑定士の2次試験を受けた方なら、当然ご存知のはずだ。

 ADは現在の総需要曲線、ASは現在の総供給曲線。P0が現在の物価水準、Y0が現在の国民所得、Yf0が現在の完全雇用国民所得である。 つまり現在、Yf0−Y0のデフレギャップが存在する。この状況で、総需要を刺激する政策(端的にいえば金融緩和)を行なわず、 構造改革の推進によって供給の効率化のみを進めると、AS曲線はAS'へとシフトする。 すなわち物価水準がP0からP1へ下落し、国民所得は一応Y0からY1へ増大する。 ところが、供給余力が生まれているので、デフレギャップはYf1−Y1へと増大する。すなわち失業が更に深刻化する (総供給の弾力性によって効果の大小は異なる)。

 このように基礎的な理論に反するような主張が平気でまかり通っている現状は異様であり、 多くの国民は洗脳されているとさえ言える。もちろん、「構造改革なくして景気回復なし」という呪文を皆がありがたく信じ、 喜んで財布のひもを緩めてくれるというのなら、景気は浮揚するだろう(それは、AD曲線の右方シフトとして現れる)。

 以上はあくまでも教科書的解釈に従った話ではあるが、教科書的議論を"使えない"という人たちから、 それ以上に納得する論理的説明など聞いたためしがない。

 一説には、景気が回復してしまうと構造改革など見向きもされなくなるので、景気が悪いままの方が内閣にとって都合が良いのだ、 といった話や、日銀が思い切った金融緩和を行なう気がない、行ないたくない(※注3)ために、ハイパーインフレの恐怖を喧伝し、 "良いデフレ"論を展開しているといった話すらある。

 経済学などあてにならないという声は論外としても、少なくとも景気問題を論じようとするのならば、 最低限初歩的な経済学と矛盾しない論理展開をして欲しいものである。

2002年10月22日


※注1:私は、いわゆる抵抗勢力を支持する者ではない。かといって、改革一辺倒の姿勢も支持しない。 どんな立場のどんな人の主張でも、有用なものは有用であり、 無益なものは無益であると思うだけである。

※注2:野口旭『経済学を知らないエコノミストたち』日本評論社、2002年6月

※注3:日銀が大胆な金融緩和を忌避するのは、インフレは自らの商品(日本銀行券)の価値を下げることにほかならないからだ、 という、それこそ悪い冗談がある。